豆腐の歴史A
豆腐と納豆はどちらが先に生まれた?
●大豆は弥生時代に伝わってきた?
世界でも類を見ないような大豆の食文化を築いてきた日本人ですが、大豆や大豆製品自体のルーツは、中国にあります。
大豆という植物そのものの起源は、シベリアから中国の東北部あたり、あるいは中国の南部だろうといわれています。
その大豆が日本に伝播したのは、弥生時代の前期、紀元前三世紀ころではないかと考えられています。
稲作などとともに伝えられたとされますから、日本人と大豆はたいへん長い付き合いということになります。
一方中国では、紀元前一二〇〇年ごろから、みそやしょうゆなどの発酵食品のルーツである醤(ひしお)というものが作られていました。
肉や魚を麹菌で発酵させて塩蔵したもので、秋田のショッツルと似たようなものです。
現在の「寺納豆」「塩辛納豆」の元祖である、大豆を使った(し)という食べ物も、紀元前一〇〇年ごろにはあったという記録があります。
こうした発酵食品の製法が日本に伝わったのは、奈良時代に遣唐使が中国に赴いてからのよう
です。
日本にも、弥生時代すでに肉や魚を使った醤はあったようですが、豆の発酵食品は、この時代くらいからとされます。
それまでは、大豆は煮て食べたり、きな粉にして食べたりしていたと思われますが、日本ではそれ以降急速にバラエティ豊かな大豆製品が生まれていったようです。
平安時代から鎌倉時代にかけての文献には、中国に修行に行ってきた僧が、「経山寺みそ」の作り方を覚えてきて、それを日本に伝えたという記録があります。
このみその桶の底にたまった汁を調理に使うとおいしいということが発見され、室町時代から江戸時代にかけて、中国の醤から、日本独自のたまりじょうゆへと改善されていったようです。
|
大豆って、どんな植物?
大豆は、東アジア特産のマメ料の一年草で、現在、食用にされているのは、野生のツルマメを祖先にもつ栽培種です。
茎は、高さ三〇〜九二センチになり、夏から秋にかけて、白や紫、淡紅色の蝶型の小さな花をつけます。
マメ科植物は、根に 「根粒」と呼ばれるたくさんの粒がついていて、そこにいるバクテリアが空気中の窒素を取り込んで栄養源に変えています。
大豆も、その根粒バクテリアの
働きによって、空気中の窒素を利用し、私たちが食べる、たんばく質に富んだ種子を作っているのです。
|
●日本での豆腐の最初の記録は「唐符」
豆腐は、中国が発祥の地です。
豆腐の作り方を発見したのは、紀元前二世紀の劉安だとされています。
この人は、漢の初代王の孫で、武芸や学問にたいへん秀でており、「隹南子」という膨大な書物を残したことで有名です。
ただ、この劉安説は、一六世紀の中国の書物に 「豆腐は劉安が始まり」と記されているために広まっただけで、それを証明するような記録は一切なく、いつ、どのように発明したかなど不明なことが多いため、異説を唱える人がたくさんいます。
中国でも豆腐は「豆腐」と記述しますが、初めて豆腐ということばが記録に出てくるのは宗(九六〇〜) の時代のため、劉安よりもずっと後の、八〜九世紀ぐらいなのではないかとの推定もあります。
日本には、奈良時代に中国の僧侶からもたらされたといわれますが、これもよくはわかっていません。
日本で初めて記録に現れるのは、平安末期の奈良・春日大社の神主の日記です。
この記録には「唐符」と記述されていますから、やはり製法が中国から伝わってきたのだけはたしかなのでしょう。
●日本人とわらとの付き合いから糸引き納豆は生まれた
現在でも、「浜納豆」や「大徳寺納豆」などの糸を引かない塩辛い納豆があります。
これは、先ほどもいったように中国から伝来した(し)を原型する、寺納豆や唐納豆、塩辛納豆と呼ばれるものです。納豆菌を利用して発酵するのではなく、麹菌を使用するために、糸を引きません。
では糸を引く、私たちが現在ふつうに納豆と呼んでいるもののルーツは、いったいどこにある
のでしょうか。
日本人は、弥生時代に稲作が伝来して以来・脱穀した後の稲わらを、ずいぶん多方面で活用してきました。床にわらを敷いたり、屋根をふく材料にしたり、畳、ぞうり、ござ、みの、俵、縄などを作ったり…。「わ〜らにまみれてよー」という歌ではありませんが、馬だけでなくて人間たちも、わらと一緒に住んでいたといっても過言でないくらい、周囲にわらはあふれていたの
です。
そこに、煮た豆が落ちるか何かして、納豆が偶然発見されたとい、つのは十分に考えられること
です。
いつどこでどのように、ということまでは不明ですが、糸引き納豆との付き合いは、稲わらとともに暮らしてきた日本人とわらとの深い関係から生まれたといってよさそうです。
|