豆腐の歴史B
豆腐はこうして庶民の味になった
●禅僧の精進料理が豆腐を広めた
奈良時代に僧侶によって中国から伝来したといわれる豆腐が、日本に広められたのは、精進料理のメニューとしてでした。
日本では、平安時代の前期、9世紀から10世紀にかけて、禅宗が盛んになり、何人もの憎が中国に修行にでかけています。その時、彼らが日本に持ち帰ったのが、茶の湯であり、懐石料理 であり、精進料理でした。
12世紀の初めに中国に渡った道元(永平寺を建立した曹洞宗の開祖)が、中国の老僧に、肉食をタブーとする禅宗の僧は栄養に注意するようアドバイスを受けたことから、栄養価の高い豆席の作り方を学んで帰ったという話もあります。
いずれにしても、たんぱく質不足になりがちな禅宗の修行僧にとって、高たんばく質の豆腐料理は、精進料理のメニューとして重要だったのです。そのために豆腐は最初は僧侶の間に広まっていき、やがて貴族階級にももたらされていきました。
鎌倉・室町時代以降になると、憎や上流階級だけでなく一般にも普及してきたらしく、『游学往来』『庭訓往来』など生活上の知識が書かれた書物に、たぴたぴ豆腐が登場してくるようになります。
「唐符」あるいは「唐布」と記載されていますが、「白壁」などの異称もあったようです。
室町時代末期の 『七十一番職人歌合』には、奈良から京都まで売りに来ている女性の豆腐売りの図柄がのっています。
ずいぶん遠くまで売りに来たものだという感慨は別にして、この当
時すでに業者らしきものが現れていて、豆席が 庶民生活に溶けこんできたことがよくわかります。 |
両天びんをかついだ豆腐売り |
●江戸時代に大人気の豆腐料理書「豆腐百珍」
豆腐が本格的に庶民の食生活に取り入れられ るようになったのは、江戸時代からです。
江戸時代に作られた狂歌、「ほととぎす 自由自在に開く里は 海屋に三里 豆腐屋に二里」でもわかるように、かなり辺鄙な郊外でも 豆腐屋があったらしく、豆腐が江戸時代の人たちにいかに人気を博していたかがよくわかります。
また徳川幕府は、経済の安定のために価格統制を行っていますが、その中に豆腐が含まれてい ることからも、豆腐がすでに庶民の生活と切り離せないものになっていたことが推測できます。
当然、豆腐を使った料理を紹介する本もたくさん出版されています。その中で最高峰ともいう べき豆腐料理書が、「酔狂道人何必醇」なる人物の手による『豆腐百珍』です。1982年に出 版されて大ベストセラーになり、翌年にはすぐ続編が出版されています。続編と続編の付録を合 わせると、紹介された料理は238品。
なかには切り方の違いだけで名前を変えたようなものま であるとはいえ、現在でも豆腐料理専門家の教科書となっているほどの名著なのです。
『豆腐百珍』は大阪で出版されたものですが、東京(江戸)と京都・大阪では多少豆腐の好みが 違っていたらしく、おもに東京では硬いもめん豆腐、京阪では軟らかなきぬごし豆腐が作られて いたといわれます。
硬いもめん豆腐は水に入れて運ばなくても崩れなかったといいますから、せ っかちな江戸っ子に合っていたのでしょうか。
ところで、江戸時代に豆腐は庶民の味として定着したといっても、それは都会だけのことであ り、地方の農村地帯では、まだまだ正月、盆、祭、結婚式、葬式といったハレの日の特別な食べ物だったようです。 |
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